エピソード4
アイルの初めての出産。
そして「Sakura Project」始動。




「アイル」の出産

 ついに“アイル”に、その時がやってきました。7月10日の夜、アイルは落ち着きがなく「うろうろ」したり、テーブルの下や暗いところにはいり、穴掘りの スタイルを何度も繰り返していました。そして、翌日11日もさらにそのような行為が増してきました。出産について、私たちははじめての経験であり、不安で いっぱいなため、この日、コーギーの交配経験のある友達に付き合っていただきました。スタンバイOKでしたが、この日、11日は見事はずされました。そして、 次の日、7月12日朝からもう生まれるような感じがよく伝わってきて、午後15時をすぎたころから、ついに感動の出産が始まりました。
 
 最初に我が家で元気に生まれた、歴史的なボーダーコリーの赤ちゃん。第1号は「レビちゃん」と「アキくん」が同時に出てこようとして、少しとまどった感じでしたが、1番に「レビちゃん」、2番に「アキくん」、3番に「アニスちゃん」、4番に「パトくん」、5番に「ラインくん」、6番に「ロッくん」、7番に「シェリちゃん」と、15時から始まった出産は間隔よく進行し、20時頃までかかりました。アイルの出産は超安産のようで軽く、次々とどの子も元気いっぱいで体格の良い子ども達で、取りあえず安心しました。

 


 さあ、ママのオッパイを取り合う戦争の始まりです。なかにはいつも取られてばかりの遠慮する子や強引に飲みに来る子などがいて、私たちはアイルの8つのオッパイを上手くローテーションしながら時間を分けて子犬たちにバランス良く与えていきました。どの子も母乳しか飲まず、市販のミルクも用意しましたが、まったく飲みませんでした。母親と子犬の強い絆を感じさせられました。
 
 そして、想像以上にお母さんになったアイル、落ち着きのない遊び好きだった彼女が、必ず時間が来れば子犬にオッパイを与えに子ども達のところへ戻ってくる姿は今も忘れられません。お母さんとしての自覚がしっかりとありました。
 
 生後1ヵ月頃から離乳食になります。この頃には食べる量はかなりの量になりまして、毎日4〜5食で、食べる、飲む、排便、遊ぶ、寝るの繰り返しでした。そして、遊ぶ時間も徐々に長くなり毎日夜遅くまで子犬達と夜更かしして、家族みんな寝不足状態でした。そんなときにも手術を受けて間もないさくらアイルの子ども達と毎 日遊ぶ相手になってくれて、アイルの子育てを手助けしてくれました。子犬たちもさくらと遊ぶのが楽しそうでした。
 
 子犬達は日々成長し、オシッコやウンチをきちんとシートの上で出来るようになり、呼ぶとこちらに来たり、お手など「いろいろ」できるようになってきました。そして、生後2ヶ月を過ぎると「いよいよ」お別れの時期がやってきます。もちろん、我が家でも子ども達を残したいと考えておりましたが、想像を越える多くの方々から“アイル” と“KOO”の子どもを飼いたいという応募がありましたので、今回はみんな旅立つことになりました。

 


 エピソード1・2でもお話をしましたように遺伝性疾患によるさくらの交配を諦めたことからこれまで交配について勉強をしてまいりました。そこで、 我が家の将来を築くための基礎犬として納得のいく血統および環境で育った親犬から生まれたボーダーコリーを探していたのです。その結果たどり着いたのが、“アイル” &“KOO”です。もちろん、生命あるものに「完璧」だということは断定できませんが、とにかく私自身が納得した犬達です。
 
 9月半ばごろ、子犬「一頭一頭」の健康診断をうけたうえで、1回目のワクチンを投与してもらい、触診などできる範囲で身体のチェックを行いました。結果、みんな特に異常なしということでした。我が家ではじめて生まれたボーダーコリーの赤ちゃん達がこれから元気に育って健康に成長してくれるよう に願いを込めて各家庭へ生後2ヵ月〜3ヵ月の時期に渡すことにしました。子犬達は東京へ「アニスちゃん」&「ロッくん」、横浜へ「アキくん」&「パトくん」、愛知「シェ リちゃん」、香川「ラインくん」、そして岡山に唯一残ったのが「レビちゃん」です。




 我が家では飼い主さんに、特別に何かスポーツやドッグショーをやっていただくなどという条件は付けませんでした。飼い主さんが家族の一員として大切に育てていただければ何も言うことはなく、これからの生涯を大切に最高の思い出を創ってもらえるように願って渡すことにしました。そして、どの子もみんな「それぞれ」の家族の思いを込めて大切に育てられれば、と強く思いました。

 2005年10月12日、最後の子ども達「アキくん」&「パトくん」が岡山駅20:00時ごろ、新しい飼い主さんと一緒に横浜に出発するのを見送りに行きました。この横浜の飼い主さんからは非常に心熱いものが伝わってきまして、アイルが子どもの時から、将来アイルの子どもを希望したいと申し出があり、いつになるか分からないことだったのですが、その子供が生まれるのを待ってて下さいました。

 我が家の子犬達を求めてくださった方々の期待に、今まで以上にそえるようブリーディングについてさらに勉強し、ルイパパさんやオーストラリアのブリーダーさんからの協力を得て、更に日本のボーダーコリー界を素晴らしいものにしていくことを決意しました。

 2005年7月12日は、“アイル” の出産と、“さくら”の手術が重なった忘れることの出来ない、我が家の歴史が刻まれた大きな一日になったのです。




 私達はボーダーコリー“さくら”と出会い多くのことを学びました。そして、“KOO”と“アイル”によって、念願の子犬達にも恵まれました。ボーダーコリーの魅力によって、素晴らしい仲間たちとも出会うことが出来ました。現在、私の生活はボーダーコリーによって以前より大きく変化し、夢もさらに大きく膨らんでいます。

 次なる私の夢は、我が家から巣立った子供たちが気軽に帰ってこれる場所として、我が家に大きな芝生広場や憩いの場が欲しいと考えています。子犬達がいつでも遊びにこれて、のびのび走り回れる環境を整えたいと思っています。

 エピソード2で「家に帰るとボーダーコリー達がどの部屋の窓からも顔をのぞかせていて、わたしの帰りを喜んでくれるのが夢です。こうなると新たに家を建て替えしないといけないでしょうね」とお話したように、この想いを2007年中に実現させるため、建築家井内氏のご協力により計画をしております。

この計画を「Sakura Project 2007」と名づけています。
そして、完成すると「さくらガーデン」と呼びたいです。
小さかったさくらの樹は、少しずつ大きくなっています。


さくらの父より 2007年2月4日